和歌山県 次の滝

和歌山の瀑布と言えば、なんと言っても那智の滝。
しかしそれ以外にもいくつか有名な滝があります。
今回ご紹介するのはその名も「次の滝(つぎのたき)」
なんとも変わった名前ですが、日本一の落差を誇る那智の滝の次に素晴らしいから、次の滝らしいです。(ホント)

場所は和歌山県有田川町。

地図で示すと大体ここらへん。
けっこう細い道を進むので、大きな車では行かないほうが良いかも。
国道424号線から県道183号線へ入り、進む。
次の滝に近づくと、案内の看板が出てきました。

県道からさらに細い道へ入る。

段々畑に果樹園。のどかな風景である。( ^ω^)
しかしオユキ、次の滝への入り口はまさに上の写真の場所だったのですが、気がつかずに直進。
しばらく林道をさ迷って、「これ、、おかしくね??」ということでまた引き返してきたのです。
観光地として整備されてはいないので、気を抜いているとすぐに通りすぎてしまいます。
しかしそんなところがまた良い。
商店が立ち並び、客寄せばかり目立つ観光地はあまり好きではないオユキです。
「次の滝まんじゅう」だの「元祖 次の滝せんべえ」だのを売っている露店があったらどうしようかと思っていましたが、その心配はまったくありませんでした。 ( ・ω・)/
一応駐車場があるのですが、これがわかりにくい。

この水道施設の脇にある小さな駐車場が、一応「次の滝駐車場」ってことらしい。
やっぱりバイクなどで来るのがベストですね。

横を見ると、、

「次の滝」と書いてあったであろう看板があります。
「この滝」かもしれないし、「あの滝」かもしれないが。。
ここから先は車・バイクなどの進入はできない。歩いて滝を目指す。

こんな感じの細い道を行く。

ふと横を見れば美しい景色。 ( ^ω^)

滝が近づいてくると、段々森が深くなってくる。
しかしある懸念がオユキの頭の中を巡っていた。
「おしっこ行きたい。。(´・ω・`)」

急に冷えたもんで、尿意を催した。しかし、、やべえ。
こんな場所にトイレはないし、街までも遠い!!
と思ったら、

(ノ゚ο゚)ノ べんじょぉぉおおーー!!!
地獄に仏とはまさにこのこと!まさかこんな場所にトイレが出てくるとは! 
設置者グッジョブ ( ^ω^)v

ボットンだが、そんなことは気にしてられない。
それよりも、トイレの床がギシギシと音を立てていて、穴が空くんじゃないかという不安がよぎりちと怖かった。
「トイレは綺麗にご利用ください」と書いてあったので、一応観光トイレらしい。

しかし次の滝を紹介するブログにおいて、こんなことを長々と書く必要があるんだろうか。
自分でもブログを書いていて、よく分からなくなることがある。
いや、しかし脱線こそオユキの本分!このスタイルを貫く所存の今日この頃です。 (-ω-)

先ほどの道を更に進むと、滝を望める展望台のような場所に着きます。

ほんでここから奥を眺めると、、

(ノ゚ο゚)ノおおおおお!! 
これは予想以上にスケールがでかい!ちょっと驚いたオユキ。
落差は46メートル。
もっとアクセスが楽な場所にあったら、きっと観光地化されていたことでしょう。
それくらいのクオリティ。壮観な眺めに圧倒される。
ほんでここで終わりではなくて、、

さらに道を進めば、滝の直下まで行けるのです。
これは行くしかない! ( ^ω^)/

道なき道、、ってほどでもない。まあまあ歩きやすい山道を進む。
そして行き着く先に出てくるのが、

大きな岩と、次の滝であった。 

びやあぁぁあふつくしぃぃいい!! (フグ田マスオ風)
ずーっとここにいたい! ( ^ω^)/
なんという神秘的な空気。聖剣伝説2のオープニングを思い出した。
っていかあのオープニングの曲が頭の中で流れた。

まるでもののけ姫の舞台みたいみたいでもある。獅子神様が出てきそう。
パヤオ・ミヤザキもきっとここへ来たら大興奮するに違いない。

滝の裏側へも回りこめるようになっている。

まるで人工的にカットしたような形の岩のくぼみから、滝を眺める。
裏から滝を見ることができるので、裏見の滝とも言うそうな。
怨みじゃないよね?(((;゚Д゚)))ガクブル

滝つぼ付近まで下りる事も出来る。

大きな滝なのでなかなか全景を写せない。

滝つぼに近づけるのはここまで。ここで撮影しても、やはり全景までとはいかない。
滝つぼよりさらに下へ降りる事もできます。

水は非常に綺麗。和歌山の川って、ほんとに綺麗なんです。
アユなんてさして珍しくもないほどで。そこらへんの川でも驚くほど綺麗なことが多い。
しかし、川だけでなく周囲の木々もなんと美しいことか。

こういう美しい自然の中にいると、人間は本来こういう中で生きていたのだよなあ。。と感慨深くなる。
先日、NHKで九州の焼畑農家のドキュメントを見ました。
その中で農家のお母さんが言っていた言葉が非常に深く、印象的でした。
「みんな、金がなきゃ生きられないって言うけど、違うよ。人間ってのはほんとは、水と塩さえあれば生きていけるんだ。」
なんだか頭をガツンと打たれた様な気がしました。確かにねえ。。
我々が社会の中でついぞ忘れてしまっている概念かもしれません。
人類はより良き生活とシステムを求めて、文明を発展させてきました。
しかしそれがほんとに、人の幸福に結びついているのだろうか。
自殺者が年間3万人超えの日本よりも、アマゾンの裸族のほうが明らかに幸福度が上だという事実。
かと言って、素晴らしい芸術も文化も技術も、文明の発展なしにはありえないわけで。
しかし社会システムの中で生きていると、まるでそれが世界の全てかのように錯覚してしまう。
だが我々は、決して自然から離れて生きることなど出来ないのだ。
自然の恵みなしには、何も食べるものなど存在しない。

農家のお母さんの謙虚さには心を打たれました。
「山はそこに生きる全ての生き物のものだ。畑もそうだ。自然の恵みをお借りして、そのおこぼれを我々はもらうんだ。」
「我々は何もあげやしないのに、山は我々に恵みをくれる。畑の作物が動物に食べられても、それは山から我々が得たものの一部をお返ししているだけ。」

社会の中では自分の土地という概念がありますが、なんと傲慢なのか。とも感じました。
我々が住んでいる場所にだって土があり、そこには数多の生き物がいるわけです。
自分の土地などというものは、本来あり得ないのです。我々は自然をお借りしているにすぎない。
ずーっと自然から離れて生きていると、そういう謙虚な心を忘れてしまう。
人間はなぜこうも傲慢なのに、自然はそんな人間すら拒否しないのだろうか。
自然の大いなる優しさに、涙が出そうになる。
他を搾取して、必要以上の物を得ようとしない限りは、生き物というのはただ生きているだけで素晴らしい。

善も悪もない。存在するもの全てが、世界だ。
こういう美しい場所にいると、そう自然が語りかけてくれるかのようだ。
だが自然は搾取するものに対しては恐るべき側面も見せる。
その力には、文明や科学ですら全く歯が立たない。
まさにこの世界そのものが神なのだ!

そんなことを考えていたら、日が暮れそうになってきた。 (^ω^;)

川下のほうも木々が生い茂っていて面白そうだったのだが、時間的にそこから先は行けませんでした。
ツル系の植物が多いのは、やはり和歌山も温暖な気候だからだろうか。
地方によって森の「顔」も違うってのが、また自然の面白いところ。

かわいらしい小さな木の実が落ちていました。みんな生きている。
素晴らしきこの世界。 ( ^ω^)
最後にちょっと引いた場所から滝を撮影。

今回のベストショットなり。 ( ^ω^)/
お名残惜しい気分で帰り道を歩く。
次の滝、なんとも良い場所だった。
ひっそりとしていて他の観光客もいなかったけど、地元の人に愛され、守られているのを感じました。しかし残念なことに、展望地のあたりに空き缶や煙草の吸殻などを捨てている人がいました。
いくつかオユキは拾って帰ったのですが、「自然を愛してない人間が、自然に来るな!」と言いたい。
o(`ω´*)o

帰路を行く車の中から綺麗な夕陽とススキが見えました。

夕日がまた美しく、奥にある山々がまるで海に浮かぶ島のように見えました。
(まるで水墨画の様だった)
空というのもまた常に表情が違い、いつまで見ていても飽きることのないもので。。
また話が長くなりそうなので、次の機会に。 (^ω^;)

それではみなさん、ごきげんよう。 ( ・ω・)/˜˜˜

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