前回は福井県の東尋坊を紹介しました。 ( ・ω・)つ東尋坊
そして「東尋坊」って名前は変じゃないか?とのことで名前の由来を調べたのです。
すると浮かび上がったのが同じ福井県の平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)でした。
平泉寺白山神社は717年、泰澄(たいちょう)によって開かれました。
1574年に一向一揆の争乱の中で焼き討ちされる前は48社36堂6千坊、僧兵8千人を有する巨大宗教都市だったそうです。
巨大宗教都市と言うと、なんだか根来寺を思い出します。( ・ω・)つ根来寺
実はその6千坊のうちの1人の名前が、なんと東尋坊だったのです。
この東尋坊ってのがとんでもないクソ坊主で、乱暴は働くわ怪力で手は付けられないわで他の僧侶から恨まれていたそうで。
また東尋坊はある姫君に恋をし、恋敵であった真柄覚念(まがらかくねん)からも恨まれていたらしい。
そこで寺の僧侶達は真柄覚念とグルになって東尋坊を海辺見物へと誘い出し、油断した所をみんなで突き落としました。
その場所が、現在の東尋坊だと言うことです。突き落とされた僧侶の名前だったとは!!
おせんころがし系だね!(おせんは自ら身投げしたので、おせんころがり が正しいという言説もある)
自殺の名所で有名な東尋坊ですが、そもそも名前の由来が飛び降りた人だったのですね。
しかし、、真柄覚念も姫君に心を奪われ東尋坊を恨んだり、寺の僧侶もいくら暴れ者とは言え同門の僧侶を殺害したり。。
( ´・Д・) 生臭ばっかりやな!!昔は大変だったんだな。
平泉寺白山神社は焼き討ちの後、当時平泉寺のトップであった顕海(けんかい)によって復興されましたが、最盛期の勢力を盛り返すことはなかったそうです。
戦国時代には朝倉氏と肩を並べる一大勢力だったそうで。。
今と昔では寺というものの意味そのものが違うのですね。
明治時代の神仏分離令により寺号を捨て、今日での正式名称は「白山神社」です。
平泉寺白山神社と言っていますが、現在は神社の部分がちょっぴり残っているだけなのです。
しかし京都の西芳寺(さいほうじ 通称 苔寺)と共に苔で有名で、境内はとても美しいということです。
それは行くっきゃない!!( ^ω^)/
場所は福井市中心部から東へ30kmほど進んだ場所で、福井県勝山市平泉寺町にあります。
町の名前にまでなっているんですね!
苔が生い茂る趣のある神社ということで、かなり山の中だと想像していたのですが、意外と住宅街からすぐの場所にあります。
普通の道路が続くのですが、白山神社に近づいた途端急に景色が一変!
いいねぇえ いいねぇえ ( ^ω^) こういう道に入るとニヤけるオユキです。
このような道が長く続くかと思われたが、意外にも早く終了。(数百メートルくらい)
白山神社には無料の駐車場があるので安心。
周囲は木々で溢れ、木陰のひんやりとした空気が心地よい。
さて、神社へ向かって歩き始めると、、
東尋坊跡発見!( ̄□ ̄;)!!
ってか東尋坊跡ってなんじゃいな。(´・ω・`)
そこに東尋坊の化石でも埋まってるのかいな。
と思ったら東尋坊が住んでいた場所のようですね。
そうだよな。化石があるならむしろ海の底だろう。
案内図を見てみる。三ノ宮が一番奥なのだな。ふむふむ。( ・ω・)
しかし最盛期の頃はどれほどの規模だったのだろうか。
坊主僧兵合わせて1万4千人住んでいたのだから、とんでもない規模だったのだろう。
一大仏教都市だね。そういった場所が昔は現代よりずっと多かったのだろうね。
過去を想像するとロマンを感じる。
神社正面入り口。歴史を感じさせる良い雰囲気ですなあ。( ^ω^)
階段を登って見下ろした所。右手に見えるのは顕海寺の鐘。
平泉寺を復興した顕海の位牌所。
白山神社入り口には大きな鳥居がある。
いい。実にいい。なんと風格のある鳥居であろうか。
絵に描きたくなるね!絵描けないけど!
ところで描って字は猫にとてもよく似ているね。
境内へ入る。
杉の巨木が参道に沿って立っており、しんしんとした空気に満ちている。
本社以外にもいくつかの社殿がある。
拝殿前の鳥居。しかしなんと趣のある鳥居であろうか。(-ω-)
奥に見える青い屋根の建物が拝殿です。
拝殿のさらに奥に本社があります。
その場の空気、景観、木々、建物。何もかもオユキ好みでございます。
そして何よりもこの神社最大の見所は 苔! 美しい苔が創り出す景観。
美しい。。。 ずっとこの場に何時間でもいたい。。 (´-ω-)
モコモコしててカワユス。
木々の間からの木漏れ日がまるで光のスポットのように苔の絨毯を照らしている。
木々の影が苔の上に重なる。光と影のコントラストが苔の緑をますます美しく、青々と飾りつける。
いやはや、ここまで美しいともはや芸術ですな!
赤い腰掛に座り、茶でも飲みながらずっと眺めていたいですな!
さて、いつまでも見とれてもいられません。一番奥の「三ノ宮」を目指します。
道中も美しい道が続く。石段を登り、一番上を目指す。
せいぜい200メートルほどなので足腰に自信のない人でも大丈夫。
上を見上げると巨木が空に向かって伸びている。
どれほど長い年月、ここで何を見てきたのだろうか。
途中にこんなかわいらしい祠がありました。
ナンマイダー (´-人-`) サラマンダー(´-人-`) スキャマンダー(´-人-`)
さらに先へ進むと、
ようやく三ノ宮が現れました。すぐ横に大楠公墓塔があります。
平泉寺の宗徒であった楠木正成の甥がある日三ノ宮に参拝していたところ、この場所に正成の姿が現れました。
実はその時、正成が自害していたのです。
そのことを後で知った甥は、ここに慰霊塔を建てたということです。
これは1336年の出来事ですから、1574年の焼き討ち以前からこの場所にあったということですね。
ところでオユキが歴史上の人物で大好きなのは楠木正成と空海と司馬懿です。
なかなかレアな組み合わせやろ!
正成のその忠義を、空海のその探求心を、司馬懿のその鬼謀を、オユキは心底尊敬しておりまする。
決して孔明じゃないんですよ。孔明はそもそも人間じゃない感じじゃん。
司馬懿は感情の強い人間でありながら、それを頭脳で制御したところが大好きです。
まあ正成の忠義を尊敬しておきながら、なぜ簒奪した司馬懿も?と思う人もいるでしょうけど、オユキってのは複雑な人間なんどす。
さて、三ノ宮を参拝しましょう。
パチ パチ (´-人-`) 。。。 ふと横を見ると、、、
なんと!! 安産の神だった!! ( ̄□ ̄;)!!
野郎2人で参拝した我々。 (・ω・`)・・・
どうりで参拝客に子供づれの夫婦やカッポレが多いわけだよ!
まあ、友人もオユキもここのところビールっ腹で妊婦並みに腹が出ているから、おそらくご利益がある。という結論になりました。
さあ、参拝を終えたので帰りましょう。と、ここで帰ったらもったいない。
実は神社入り口近くに御手洗池というのがあり、そこにご神木があるのです。
御手洗池という名前、、一瞬トイレかと思ってしまいます。
「おてあらいのいけ」ではございませんよ!「みたらしのいけ」でございます。
奥に見える池が御手洗池。平泉とも呼ばれ、平泉寺の名の由来でもあります。
泰澄がここで神様に出会ったことが、平泉寺のはじまりだとか。
池の手前に鳥居と、大きなご神木があります。
泰澄自らが植えた苗がこのご神木。樹齢は1200年を超える。
ご神木の場所は神聖な空気に満ちている。いわゆるパワースポットなのでしょうな。
頭がちょっとクラクラする。
にしても美しい。平泉白山神社はどこを見ても美しかった。
しかし、争乱による焼き討ちがなければここも高野山に並ぶような一大仏教都市だったのだろうなあ、と思うと感慨深い。
巨木、自然、静けさ、美。
規模自体はそれほど大きな神社ではありませんが、存在感の大きな風格ある神社です。
夏は特に苔が美しいので、みなさんもぜひ一度行ってみてはいかがでしょうか?
長くなりましたが、それではみなさんごきげんよう。 (*‘∀‘)/˜˜˜
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